便利&依存症

我が家のガラス窓を「トントン!」と叩く人がいた。
ラジオ体操の帰り道の近くの奥さんだった。
7時前である。夜遅い我が家はまだ夜中の気分である。

「携帯が見つからない。ショップで解約&新規を勧めてくれた」と
半泣きの状態でもある。娘たちも交えて数日間大掃除などで手当たりしだい
探した末の話だそうである。

手持ちの白ロムを差し出して「シムカード再発行」を願い出るアドバイスをした。
夕方大喜びの電話が入った。この数年の間に携帯電話はすっかり依存症の様なものと
化している。手元になければ心配で例え忘れて外出しても取りに戻りたくなる衝動に駆られる。

メールの着信が気になる。かかってくるはずもない事わかりながら・・・
もしやの気持ちで着信を確かめる。たかが数通の迷惑メールがとても気がかりである。
便利でおまもりみたい〜と言う考えも確かである。
しかし<ない>なら あきらめて使わないものとなるだろうか?

使わないから要らないとキッパリ拒絶する友人もいる。あれがあれば
一緒に出かけた先で<保険>かけたようなものだ・・しかし拒絶してる当人に
その便利さもわからないのだろう。携帯あれば<野放し>可能なのに・・・
無い人をたえず見失わないように気配りしている事わからないだろうなぁ。

なんでも使わなければ真実の便利さは理解出来ないだろう。
件の奥さんも「いらない〜使わない」派であった。数年後彼女なりの
賢い使い方で謳歌してる。今では 完全に依存症である。

依存症になっても・・・朝早くから窓トントンはやめよう。
携帯のGOODな使い方も今一度考えてみよう。

八ヶ岳キャロット(コブトリ執事)